monk

気がつくこと、色々。

「刮目」

☆「刮目」
刮目…この言葉は好きな言葉であります。{よく見て今のその人自身が、今どういう状態でどういう状況なのか、その都度判断をしなければならない}というように、解しています。

私は、常に物事を、または久しく会う人を、または常日頃会う人を{まっすぐに}見て、判断したいと願っています。その中には{誤解}をしたくないという気持ちが働くからだと思います。
{誤解}は、思い込んでしまえば、その思い込んだ人にとっては{真実}となり、固定されかねない状況をうみます。私は{固定観念}というものを、厭います。
相手の年齢に関らず、こういったことを{癖}のように行っているようですし、また、何か新しいメニューを考えているときも、バッハを演奏しているときにも…発揮されるようです。それに、53歳の人間が3歳児の{子供}の人間に向かって投げる目線も、53歳の人間としてのものであります。
…遣りにくい…と、思われる方は多くいらっしゃるようです…が、それは私の仕事ではありません。

ちょっと、話はずれますが、モンクは入りにくいと、おっしゃる方が多くございますし、私という人間に興味を持ち話してみたいと思われている方々も、意外といらっしゃるようです。
ここで問題なのは、モンクは入りにくく、店主は話にくい…ということでございますが、私自身申し上げるのであれば、「真面目に、まともに」仕事をしたいと思い、それを実行していきたいと願っているだけでございます。実現しているのかどうかは、お客様のご批判に任せると致しまして、「モンクは入りにくく、店主は話しにくい」…実はこの点におきましては、私は何一つ思いつきません。精一杯入りやすくし、また、話しやすくしている積もり…なのですが?私は道化ではありませんので道化るのが仕事では有りません…が、心には引っ掛かりを感じてはいます。まっすぐに向かってきてまっすぐに話せばよいのではなかろうか?と、思うだけなのです。

また、お客様のお顔だけで、お飲みになりたいコーヒーをお出しする事を求められることも多くなってまいりましたが、私はひるむことがありません。イメージだけで、若しくはお顔と全体のご様子だけで、私がお出しするコーヒーは、満足を呼び覚ましておられ、私に至福を与えていただけます。だからといって、同じお客様が違った日時にこられて、同じコーヒーを出すのかというと、その都度違ったものをお出ししております。勿論、同じコーヒーが出る場合もあります。ワザとそうするのでは有りません。その時々に感ずることが違っていますので結果そうなるだけでございます。

「刮目」
無理解の中で刻々と過ごしておいでの方があります。「誤解、曲解」が生みつける「固定観念」が、育つと動かしにくい「概念」となりかねません。柔軟性を失わないように、小さな人間が言うことも、私を嫌う人間がいうことも、「正しい」ことは、「正しい」ことですし、重複いたしますが「言葉」を聴くことが重要なのであって、「誰」がいったかは、二の次だと思います。
但し、「因縁」をつけてくる輩は、別です。因縁をつけているのか、人の揚げ足をとっているのか、常に判断を怠らないように、気をつけなければなりません。「刮目」と言う言葉はそれをも含んでの言葉であります。
2009/11/07

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二台の扇風機

「扇風機」
モンクの扇風機が二台…いなくなった…2009年9月25日…モンクに来ていつも通り支度をしていて、裏の焙煎室のドアの鍵を開けに行ったときに不図見るといるはずの扇風機が二台とも姿を消している。
トラちゃんが家出をしたときのような寂しさを感じてしまいます。毎年、夏になるとすったもんだして、この二大の扇風機と過ごしてきました。何度も壊れるので、何度も直して…機嫌が悪いと片方の扇風機は勝手に休むはくるくる廻るは…で、遣りたい放題です。業を掛けられた分だけ、自分の仕事に戻って風を送ってくれる姿は…唯の扇風機ですが…かわいく思えました。
思い入れというものとは、無縁だと思っていましたが、どうも、そうでもなさそうで帰ってくればいいなと、つくづく思ってしまいます。してみると、物の価値というのはその人だけのものかもしれません。他の人から見れば唯の古臭い、しかも“ボロ”の扇風機ですが、長い時間を一緒に過ごしてしまうと違ってくるようです。
来年の夏はどうしようか…考えてしまいます。それにしても、こうも寂しいとは思いませんでした。
2009/10/06
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清水あきよ

独り芝居をやる方です。詳しくは http://hiroppa-ratta.blog.eonet.jp/default/ に飛んでください。
モンクからのご紹介です。よろしく、お願いいたします。

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味わう

☆「味わう」
カフェティエールというコーヒーのスタイルが当店にはありますが、これは「コーヒー店主」と言うフランス語であります。私がこのコーヒーを創りましたのは自分のティスティングの為でございます。焙煎を終えた直後の自分のコーヒーの検査をするために出来たスタイルでございます。
このコーヒーは口蓋にて味わうことを目的にしていますので、飲んでいただくものではありません。
1) 舌の上に乗せます。
2) 上下の唇の裏側と同時に上下の歯茎に塗りつけます。
3) 上あごに舌で塗りつけ、舌を口の中で持ち上げて下あごに流し込みます。
4) 左右の頬の裏側に塗りつけます。
5) 残りを口蓋一杯に広げまして、鼻腔を通ります香りをかみ、味を知ります。

モンクでは、何でも「味わう」ということを、月一で結構でございますので、やっていただくことを推奨いたしております。月に一回、思い出したように行うだけで「味覚」は格段の変化を遂げます。「感じる」ということが帰ってまいります。
どうか、五感というものを大切になさっていただき、見過ごしていた味や風景に気づいていただければ幸いに思います。2009/09/22
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「安室 奈美恵」

私が安室 奈美恵を知ったのはつい2〜3年前のnamie style当たりからです。よく、今の安室奈美恵が誤解されるのはアイドル=操り人形という図式によって解釈されることで、勿論、アイドルとして一時期を形成しアムラー現象まで引き起こした功績は今の安室が出来上がる大きな要因になっているので否定的には感じていませんが、今現在の安室をアイドルというカテゴリーで見ることができるのか?はなはだ疑問であります。
また、現在はj-popと呼ばれてはいるが、この中に歌謡曲が入るのはどうだろう?
日本の歌謡曲は民謡から浪曲、浪花節、演歌、歌謡曲という道順で変わってきたがこれらを全てj-popと呼んでいいのだろうか?
最近、私の友人のへススが「泪そうそう」とかいう歌をチェロで弾いてくれというので練習してみましたがこれは“歌謡曲”。わたしは何とか…とか、x-japanも聴いてみました…これはj-rock。安室奈美恵はhip-pop namie-style。

で、安室のPLAYというアルバムを聴いて、これがj-pop(hip-pop?)だと、“私”は始めて感じましたし、これが安室奈美恵がいうnamie-styleだと思いました(勿論、既存の曲の中にもj-popを感じさせるものはありますwant me want meやspeedstar…etc)。
それと半端ではない仕事量とメイキングビデオでわかる自分の仕事に対する姿勢と理解、実行能力及び興味のあるものに対する貧欲な程の取り込み能力…これはyo yo maやイチローのモチベーションと同じものを感じます。また、イタヴューの中に見られる“本音”の部分はう〜ん!と考えさせられますし、これらを安室は頭で考えることなく感じる事で行っている(とすれば)…これは驚き!です。
今、安室は周りのブレーンやメロディーメーカーなど含めてよい状態の中に居るのでしょうし、自然に変わって行く自分にポジティブなものを感じ、変化することを恐れることなく進んでいるのでしょう。
先頭に立って突き進んでゆく安室の唯一の心配事といえばその健康に他なりません。メンバーの換えはあっても安室本人の換えは…ない。

真正面から正視して始めてその人が言わんとする事、成さんとする事を捕らえることが出来ると思います。
安室をいまだアイドルのカテゴリーの中で捉えている人達は大きな誤解の中にいます。一個の人格として捉えるとまた、“言葉”として捕らえると「受け手の意識」の持ち方だけで、その“言葉”が成す“意味合い”は大きく変わってきます。誰が言ったかではなく何を言われたかを問題にすべきですし、また、接することの出来ない人(安室奈美恵等)に対しては正しくその人がやっていることを“視て/知る”ことは重要だと思います。
その人がやっていることがその人自身を言葉以上に現しています。安室奈美恵の正念場は2009年後半から始まり、2010年はこれからの安室の将来を占うのでしょう。マイケルジャクソン亡き後、スリラー並みの変革を与えてくれるのは安室奈美恵以外考えられません。2010年がそれを決定付けます。2009/04/28
誰に対しても真正面から極力誤解しないように理解したいと思っています。安室奈美恵のような立派な方に限らず、その辺りを右往左往しいらっしゃる方々に対しても、同じように思います。人は変化してゆくものですが、自分だけが変化するわけではなく、他の方々も変化しています。そのことを忘れることなく、「誤解」という無理解に浸ることなく、理解の領域にありたいと願っています。唯、理由を伴わない理不尽の領域のことの謎を解くことはいまだ出来ずにいます。人間の歪んだ感情というものはカオスを生み出し、責任感を失わせるようです。若き安室奈美恵や、フレデリック・フェデラー、鈴木イチロー、大野和士…ヒステリーを起す時期ももったでしょうが、自分の責任から逃れるようなことはしてはいません。書ききれない程いらっしゃるこういう方々からわたしは自分に足りないものを多々見出すことができ、それは喜びとなります。
皆様方には「誹謗」「中傷」「無理解」の奴隷になってしまわないように、切に願って止みません。
『あなたは何故、安室奈美恵のファンなのですか?』と言う質問に、わたしは答えます。2009/09/15


「1%の才能と99%の継続…安室奈美恵別項」
1%の才能と99%の継続…この言葉は大切な事柄を含んでいます。
私は今まで99段の階段を上がりきったところに最後の1段を見出すことが出来るのではないかと考えていました。それほど、才能というものは冷淡に人を付き放すものだと。しかし、安室奈美恵のこの言葉は私にはこう聞こえてきます。
土に種を蒔いてその種が根を出し、芽を出し木になり枝葉をつけ花を咲かせて実をつけるまでにどれほどの時間が掛かるのでしょう。才能の有無は99%の継続なくしては「育たない」…つまり、種を育てるのと同じであるというふうに聞くことができます。2009/05/06
また、このことは才能は育つものであるということを示していますが、育つまでには色々の困難と受難を当然のように内包し、そしてそれが継続ということであり、種はイタチやねずみに食われるものもあれば、腐って育たないものもあることを承知しなければならない。と、いうことでしょう。
種が根を出すときは無我夢中です、新芽が出たからといって安心してはいけない鳥がいます。木になりつつある最中は大きく育っているのかどうかさえ解からずにいるのでしょう(こういうときに人は混迷するのでしょう)。一つの花をつけたときにこの木は大きな自信と誇りを持ち始め、一斉に満開期を迎えますが、実にする事を忘れてはいけません。相変わらず鳥たちはいますが今度は種まきをしてくれる友となります。
1%の才能と99%の継続…安室奈美恵の言葉は私にこんなことを教えてくれます。2009/05/07
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